裸の王様と囚人のジレンマ
先々週から、世界中が注目した米中首脳会談の内容を見ながら、私はどうしても拭えない違和感を覚えていました。
各国独自の報道では、「一定の前進」、「建設的な対話」、「対話継続の確認」といった前向きな言葉が並んでいましたが、
その一方で、残念ながら”世界平和”という本質的な部分には一歩も進んでいない印象となりました。
両国共に、表面的には笑顔を装いながらも、水面下では互いに一歩も譲らぬ警戒感を抱き続けている。
その微妙な空気感と緊張感が、画面越しにも伝わってきたように感じました。
中国での晩餐会でも、同じ席に着きながら、言葉を交わしながらも見ている視点や未来はまるで違うような、
不一致の空気感からは、力による”世界平和の秩序”に深い亀裂が改めて感じさせられました。
世界平和の観点から、一向に収拾の兆しが見えないイラン情勢があり、中東地域に漂う緊迫した空気感は、もはや局地的な問題ではありません。
2月末からのイラン情勢の発端から、ホルムズ海峡閉鎖によるエネルギー問題、関税問題、安全保障、各国の為替市場などなど、
すべてが複雑に絡み合いながら、一つひとつの利己的な利害からの誤算が世界全体へ波及しかねない危うさが潜んでいます。
こうした状況の中で、各国首脳から飛び出す強硬な発言、力を誇示する言葉、相手を威圧するような表現を目にするたびに、私は強い不安を覚えます。
世界のあらゆる場所で、「力による正義」を模索する空気が強まっています。そこには不安感があり、恐怖心があります。
そして、その不安定感を背景に、より“強い言葉”が支持を集める。
とりわけ、トランプ大統領の発信に象徴されるような、単純明快な発言や「勝つか負けるか」というディール型の政治は、
多くの人に分かりやすい安心感を与えます。
不動産王として培った駆け引き、相手を圧倒する強烈な言葉、強さを前面に押し出す姿勢があり、勝っている時には、その姿は非常に魅力的に映ります。
しかし、その強烈なリーダーシップの裏側に、“裸の王様”の危うさも感じるものです。
その周囲が熱狂し始めると、人は次第に本音を言えなくなる。
「それは違うのではないか」「本当にその方向でいいのか」「世界を分断させていないか」そのような声が、
“敵か味方か”の単純な構図の中で封じ込められていく。
その瞬間、リーダーは知らぬ間に「裸の王様」になってしまう。
そして、最も恐ろしいのは、その「裸の王様」は、一人で生まれるのではないということであり、周囲が忖度して、空気感を読みながら、
本音を言わなくなった時に初めて生まれるということです。
つまり、「裸の王様」をつくるのは、王様本人だけではなく、その空気感を支える周囲でもあるという事実です。
私は経営者として、この寓話を決して他人事だとは思っていませんし、会社が成長し、組織が大きくなればなるほど、周囲は社長に気を遣うようになります。
耳障りの悪い話が減り、賛成意見ばかりが集まり始める。
それは一見、組織がまとまっているように見えて、実は非常に危険な状態です。
だからこそ、自分自身もまた「裸の王様」にならないようにしなければならないと強く思っています。
社長にとって本当に怖いのは、「ライバル企業や敵」ではありません。誰も本当のことを言わなくなることです。
だからこそ、シューワグループは15年の月日の中で、この「週報」を取り入れて社長へ直接届くシステムを取り入れています。
個々の役職や立場を超えて、常に本音を言い合えるチームでありたいと思っています。
時にはぶつかっても良いですし、意見が違っても良いと思います。
しかしながら、対話が止まった瞬間に、組織の中に「裸の王様」が生まれてしまうので、血気盛んな意見が飛び交うようお願い致します。
そして、もう一つのテーマの「囚人のジレンマ」の逸話を考えてみたいと思います。
昔、ある村に二人の村人がいました。
村の中央には、大きな川にかかる一本の橋がありました。
その橋を渡れば互いの畑を行き来でき、収穫を分け合い、協力しながら豊かに暮らしていける。
本来、その橋は村の繁栄を支える象徴でした。
ところが、ある時から二人は疑い始めます。
「もし先に裏切られたらどうする」、「相手だけが得をしたら損をする」、「自分が先に備えなければやられてしまう」
そうして互いに警戒を強めた結果、二人はついに橋を壊してしまいました。
それは!相手に渡らせないために。そして、決して!!裏切られないために。
しかし、橋が壊れたことで困ったのは、相手だけではありません。
数年後には、A村は農具不足となり、B村は食料不足に陥りました。
本来なら補い合えたはずなのに、“疑心暗鬼によって、お互いの未来を壊した”という話です。
この寓話の本質は、「相手が敵だから壊した」のではなく、“敵かもしれない”という恐怖で壊した点です。
つまり、実際の敵意ではなく誤解・防衛本能・不信が連鎖すると、人は自分を守るために、結果的に双方が損する行動を取る。
自分自身もまた、行き来できなくなり、協力の機会を失い、村全体が貧しくなってしまった。
これが、経済学で言う「囚人のジレンマ」です。本来は、協力した方が双方に利益がある。
それなのに、相手先への不信が先に立つことで、お互いに”不信感と防御”へ走った結果として誰も得をしない構図があります。
私はこの話を思い返すたび、現在の分断時代に、守るべき“信頼”という橋、今の世界情勢そのものを見ているような気がしてなりません。
この二つの逸話には共通点があると思います。
それは、「怪物」とは最初から存在していたわけではない、と言うことです。
怪物の正体とは、特定の悪人ではありません。
・「疑い」・「沈黙」・「対話不足」⇒そこからくる「不信感」
このような空気感が積み重なった時に、初めて”虚像”としての見えない「怪物」が生まれるのだと感じました。
人は”敵”だから「怪物」に見えるのではない。
理解されない孤独の中で、「怪物」に見えてしまうのです。
だからこそ、組織に本当に必要なのは、勝つこと以上に「本音を言い合える仲間との信頼」だと思います。
再度、この観点から、冒頭の米中首脳会談を見ると両国に流れる空気感は、どうしても拭えない違和感がありました。
お互いに握手をしながらも、互いの胸中には深い警戒があり、同じ言葉を交わしながら、見ている未来が違い、
対話を続けると言いながら、根本的な信頼の橋はまだ修復されていない。
まさに、あの囚人のジレンマの二人の村人が壊した橋のように、互いに守りたいものや、譲れない事情がある。
しかし、その中で「先に裏切られるかもしれない」という不信が強まれば、人は攻撃へ走ります。
まさに!今の世界平和は、ベネズエラ問題からイラン情勢に至るまでの戦後80年の信頼が完全に無くなり、
経済制裁・関税・半導体規制・軍事的牽制(けんせい)があり、力による支配に完全に変わってしまった現実がある。
この大切な橋を壊す行為が堂々と行われており、そのどちらも、”自国をファースト主義で正義”だと信じていることです。
ここに、現代世界の危うさがあります。
ロシア・ウクライナ問題・イラン情勢・台湾海峡を巡る緊張があり、世界のあらゆる場所で、「力」による解決を模索する空気が強まっています。
そこには不安があり恐れがあります。
30年後には残らないかもしれないトランプ大統領の強い言葉が、必ずしも強い未来をつくるわけではありません。
そんな時、私は夜、静かな時間にMr.Childrenの楽曲を聴きます。
そして自然と思い浮かぶのは、『バケモノの子』の世界の主題歌≪Starting Over≫が描くのは、
人間の内側にある葛藤と、それでもやり直そうとする意志。
『バケモノの子』が示した“バケモノ”とは、外からやってくる存在ではありませんでした。
孤独。怒り。承認されたいという渇望があり、理解されない痛みを持ちながらも、その制御を失った瞬間に、人は怪物へと近づいていく物語です。
私はそれが、今の世界の姿と重なって見えて仕方がありません。
国家も企業も、人間も同様でありながら、その正義が理解されないと感じた時や孤立したと感じた時に、
人は安易に相手を敵とみなして、自らを守るために攻撃的になる。
そして、その”悪循環の連鎖”の中で怪物は育つイメージをこの主題歌から感じました。
これは、まさに!シューワグループ経営においても同様です。
・経営陣と現場・本社と各支店・営業と施工管理これらが互いに本音を言えなくなった時、「囚人のジレンマ」と「裸の王様」が生まれます。
互いを疑い始めた時、橋が壊れます。
そしてその空気が、組織の中に怪物を育ててしまう。
だからこそ私は、今こそ稲盛塾長の教えが必要だと思うのです。
塾長が繰り返し説かれた「利他の心」をもって相手を思いやることであり、相手の事情を想像することが重要だと思います。
自国ファーストの「利己的」な自分さえ良ければよいという考えではなく、会社と社会の繁栄を「五方よし」で考えることです。
これは”理想論”ではありません。
最も現実的で、最も強い経営哲学であり、シューワグループが目指す連邦経営も、まさにこの思想の実践です。
それぞれが主体性を持ちながら、全体を考える。
これからの時代に必要なのは、力で押さえつける強さではありません。
異なる価値観を受け止めながら、壊れずにつながり続ける強さです。
シューワグループは、”利他心”をしっかりと持って≪ありがとうと命をつなぐサービス≫を基に地域の安心と安全の”信頼という橋”を
守り続けなければならないのだと、改めて深く学びました。