ベトナム出張報告

5月29日~6月1日で私、角谷統括、蔭山課長、西主査と四名でベトナムのハノイとホーチミンの2大都市へ出張に行って参りました。一番の狙いは、『人材募集・確保』である。

ベトナム出張報告

もともと、ベトナムは第二次世界大戦末期には日本軍の庇護でベトナム帝国となっていたのだが、日本が第二次世界大戦で降伏した直後に、独立同盟会(ベトミン)が革命を起こしベトナム民主共和国として独立。その後もフランスの統治下にあったのだが、1946年の12月にフランス軍との間で第一次インドシナ戦争が勃発。戦争は1954年7月のジュネーヴ休戦協定が締結されるまで続いた。この協定によりベトナムは北緯17度線で南北に分割され、その後、南ベトナムで戦争が起こる。ベトナム戦争は皆さんもよく知っていると思うので省略しますが、1976年7月2日に南北が再統一されベトナム社会主義共和国の成立宣言がなされるまで戦争に翻弄され続けた国といってもいいと思う。

昨今のベトナムは人口は約9000万人で、東南アジアで経済の成長が大きく注目されている国である。日本のように、国自体が長細く首都・ハノイ(北部)とベトナム最大の経済都市・ホーチミン(南部)の距離は、北海道から東京ぐらいの距離で飛行機で約2時間の位置にある。

ハノイは人口約620万人の都市で、かつての社会主義の名残が未だに続いているのかもしれません。フランスの統治下にあっただけに建物はモダンで質素な街で、昔の北京に似ているかも知れませんね。未だコンビニやチェーン店がほとんど無い状態で日本の50前と言っても過言ではありません。逆に考えると、当たり前のサービスを提供するだけでかなりのマーケットシェアを獲得できる市場かも知れません。

ベトナム最大の経済都市ホーチミンの人口は610万人程です。「一年中暖かい」イメージと、以前この街がアメリカの影響下にあったからか「自由活発な経済環境」という感じがありました。街にいるだけで「何か凄いエネルギー」を感じる雰囲気が全体に漂っています。

ベトナムの人材について

さて、今回のメインの【人材】の話です。ベトナムの経済状況がインフレ傾向であることに比例してベトナム人の給料も相当あがってきている。 簡単に、説明しますと田舎で安い賃金の人は、日本円で6000円前後に対し通常のベトナム人で月収30000円~40000円ほど。日系企業であれば、40000~50000円ほどで、その格差は今まで以上に広がっているとの事。しかし、日本人の給料に比べるとまだまだ安価なものなので人気が高い。

今回は主に男性ベトナム人を技術者として面接をしました。総勢二日に渡り28名。面接は手分けをして行いましたが、フラフラでした。しかし、彼らの澄んだ眼の奥の闘志を感じました。一人一人じっくり話をし「日本の技術を学びたい」という思いや「家族の為に働きたい」という強い思い、また、非常に活気あるエネルギーを感じました!

一言でいえば『日本人とよく似ているな』って感じです。今回の一番人気は、東大阪店の木崎課長をもう少し賢く?したような感じ(笑)ベトナムの方とちょっと話してみて一番印象に残ったのは、「はにかみ笑い」と「謙遜」ですね。

「日本語上手ですね。」とか言って誉めると、はにかんだ笑いを見せて「いや、まだまだ全然です」と言ったりします。何か古き良き日本って感じで、すごく僕的にも安心して心地良い感じでした。僕もそんなに外国人を知っている訳ではありませんが、中国人でも韓国人でもこういう「はにかみ笑い」を見たことはないですね。外国人と云う感じでは無く、親近感を覚えてしまいました。

入国ビザ等の手続きがありますので今すぐにという訳にはいきませんが、約3ヶ月後に6名を派遣事業部とファシリティー事業部で採用予定しています。皆さん、お会いした時は、仲良く兄弟のように接してあげて欲しいと思います。

ファシリティー事業部では、これまで、基本的に素人に近い人を採用して、会社の中で育てていくスタイルをとってきましたが、逆に技術者をベトナムや外国から逆輸入することもは面白いなと感じました。

まだまだ、言葉の壁はありますが日本の今後の「少子高齢化」と「労働人口の減少」ということをを考えるとこれは完全に【アリ】だと確信しました。

今回の出張は、日本の社会が忘れてしまっている、「懐かしい笑顔」を見れたような清々しさを感じさせてくれ、良い刺激を受けた出張でありました。私たちも、会社も、そして日本という国も、彼らの熱い気持ちに負けないようにしないといけないです。

そして彼らがシューワに来てくれることで、さらなる【化学反応】が起こることを社長として期待をします。

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