
敬天愛人

先々週、6月9日(金)、10日(土)、11日(日)に、2泊3日で旧盛和塾・大和主催の合宿が稲盛塾長・生誕の地、鹿児島にて開催され、塾長の足跡を100名の塾生と学んでまいりました。
行きは、大阪・南港発のサンフラワーフェリーに18時に乗船し、鹿児島・志布志港に翌朝9時到着。帰りは鹿児島空港から伊丹空港という行程です。
今回の合宿のテーマは 「敬天愛人」・・・生命観、死生観の発達と共に覚悟を定め天命を拓くというものでした。
・敬天→天を敬い
・愛人→人を愛する心
明治維新の英雄・西郷隆盛氏が好んだ言葉としても有名な「敬天愛人」ですが、西郷さんがだれからも慕われていた理由として「無私」に徹すべしが有るそうです。
そして、今回、合宿の合言葉・キーワードが“ちぇすと“ でした。
・ちぇすと?!がんばれ?!・・・関西では、あまり馴染みのない言葉ですが、気合のはいった掛け声であり、その意味は「しっかり頑張れ!」であり、江戸時代末期ごろから鹿児島で流行るようになったそうです。
合宿2日目は、鹿児島県南部「知覧特攻平和会館」を拝観してきました。
以前より諸先輩方から、「知覧特攻平和会館」に行くと人生観が変わると言われていたので、一度は行きたいと思っていました。
「知覧特攻平和会館」では、男性語り部さんによる約30分間の解説と映像紹介がありました。(以下の通り)
沖縄戦は、昭和20年(1945年)3月26日から始まって6月23日に終了。
沖縄は本土防衛の最前線として最も重要な場所で、その最前線を文字通り死守するために採られたのが特攻作戦。
大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、通常の攻撃では戦果があげられず帰還率もほぼゼロの状態でした。
日本の存続をかけた戦い。
まさに!「特攻隊」の生き様をみせて貰らいました。
「特攻隊」は、全国からパイロットを募集し、難関の上に採用された優秀な17歳から32歳の1036名(内知覧からは402名)もの尊い命がお亡くなりになりました。
この添付書類にある子犬を抱いた少年ですが、この写真を見たことのある方も多いかもしれません。
17歳~18歳の少年兵で、「特攻出撃」の2時間前に撮られた写真です。
これから「特攻出撃」するとは思えない穏やかな表情ですが、死と向き合いながら、我々では図ることのできない様々な葛藤や想いがあったと思います。
日本国の為と言いながら、現実として己の使命を果たす。
この強さ、穏やかな表情の裏に「自分の生き方に対する覚悟」を感じました。
底なしに明るく、どこにでもいる様な若者たちが、自分の意思で、純粋に愛するものを護るため、命をかけて飛び立つ姿に胸が苦しくなりました。
この3日後に敗戦の日を迎えております。
話を聞いているだけで、自然と涙が込み上げてきました。
「特攻」で多くの若者が、自分の命に代えてでも求めたのは日本国の平和な未来です。
残された私たちが、その想いをこれからも永遠に受け継ぎ、後世に伝えていかなければ成らないと強い感じました。
遺書を拝見した感想ですが、本当に優秀な方たちが書かれた文字で、字がとても綺麗で言葉もしっかりとされていました。
自分自身が当事者であったら、あのような冷静な文字は書けませんし、そこまでの心の余裕がありません。
この国難に対して、自分の為ではなく、日本国の為に命をかけて戦ってくれた先人に対して恥じないように生きているのか、今一度自分を見つめ直し問いかけたいと思います。
彼らが我々に託した日本の未来。
そんな先人に胸が張れるのか!!
国難に際して自分の為では無くて、日本国の未来の為に命を懸けて戦った先人の方たちが居てくれたことを忘れてはいけません。
二度と戦争はあってはならない。
心に刻まれたお言葉でした。
今の日本があるのも、命を投げうってでも守ろうとしてくれた先人の方々の、ご先祖様のお陰です。
彼らの心意気に恥じないような生き方ができているのか?
・先人の方々が守りたかった日本!
・彼らが我々に託してくれた日本!
命を賭けた彼らに胸を張ってど真剣に生きているのか?
今一度、「敬天愛人」の魂を持った”利他の心”が重要だと感じました。
やはり、ベースは感謝の心が必要だと改めて深く感銘を受けました。
そして、今一度、有難う=感謝を考えてみたいと思います。
”有難う”の反対語は、”当たり前”です。
今、平和であることが”当たり前”とならないようにしなければいけません。
そして、健康、家族、仕事、社会のすべてを含めて、今あるのもは、”当たり前”では無くて、先人、ご先祖様のお陰です。
”生きている”ことは、”当たり前”では無くて、”生かされている”と考えるべきです。
もう一度、すべてに感謝の念を持ってど真剣に生きて行きましょう!
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