
変革の決断とは

私は、正月休み中にツタヤで昔月9のドラマで人気だった木村拓也主演のチェンジを見ました。その内容を紹介させて頂きます。
木村拓也演じる主人公が一介の小学校教師からやむなく衆議院議員に立候補し当選、しかも支援率が下降する与党の総裁に担ぎ出されて、いきなり総理大臣になってしまう。シンデレラストーリーです。
ドラマの中、木村総理が国のダム建設によって魚の漁獲量が急激に減少した漁民に対して和解をするという歴史的な決断をするくだりがあるが、
そこには国民と同じ視線でというカッコたる信念があった。周囲からは官僚を敵に回すことになる今後、賠償金がかさみ、財政が悪化すると止めがはいるのだが木村総理は頓着しない。
漁民との和解に一点の曇りもなく臨むのである。ここで思ったことは、決断力は自分の利益、自分の将来を心配し始めたとたんに鈍るものなのだ、事を臨んで私心を去り、本当に全体のため、
目的達成のため、何をするのが正しいのか、効果的なのかという点に一年凝集して取り組むときに見通しは冴え渡り、決断力は沸き起こる。
もし失敗したら、私はどうなるのだろうと自分のことを心配しはじめたとたんに決断力は鈍ると思いました。
また、総理大臣の重みは、そのまま決断の重みにつながる、自身が決断することによって、一国の、ひいては
1億2000万人の国民生活が左右される重みというのは、直面したものでなければわからないだろう。
木村総理は今後自分がどうなるのだろう・・・・という逡巡がなかったがゆえに歴史的な決断に踏み切られたのであろうと思いました。
私は日常の中で決断のプロセスを学ぶ大切さが必要だと思いました。このことを決断の見積稽古と呼んでるそうです。
たとえば、ナポレオンは若い時、プルターク英雄伝を愛読していました、そして、古代の英傑たちが決断の時を迫られたときに本を閉じ自分ならどうするかと深く考え、
自分なりに結論をだしたあとに読み進めたといいます。私は日常の勤務を通じて、上司、同僚が決断するために脂汗をかいて悩んでるときに、
あるいはプルターク英雄伝を読むナポレオンのように小説、映画、演劇など架空の物語であっても主人公が決断を迫られるとき、自分も一緒になって考える習慣を身に着けたいと思いました。
つまり責任の重い決定権者、命令権者が苦悩するさまを自分は関係ないと傍観しているのではなく、常に自分ならこうするとの自分なりの結論を出す訓練、決断の見積稽古をして修行するといいと思いました。
そうすれば、いざ自らが事を処すときに、より早くより深い決断が出来るようになると思います。
今、時代はめまぐるしく動いている。経済ひとつをみても、その栄枯盛衰は驚くほど早く、激しい。
まさに熾烈な生存競争のまっただなかにある。アメリカのある経済学者は、めまぐるしく動く時代、競争を分析し、警句をはっしている。
昨日うまく機能したものが、明日もまたうまく機能するという保障はまったくない。
もっとも重要な問題は自分自身を作り変え続けることができるかということであろう。矢野社長がよく言われる変化対応型だと思いました。
また、常識というものは往々として、時代の流れとともに変わるものだ。これはどんな組織でも同じだ。いつまでも同じ考えでは、現実にあわなくなることがある。
まさにその時企業のリーダー、ビジネスのリーダーが私心なく変革の決断を下すことができるかどうかだと思いました。
私も、去年の10月に営業推進本部のプロジェクトリーダーという肩書きを頂きました。私は2015年3月2日に入社させて頂き2018年(今年)の3月で3年になります。
今年は期待に応えられるプロジェクトリーダーとして名に恥じないよう邁進していきます。