
命の限り

先週、MBS・高井美紀アナウンサーが1月25日水曜日にお亡くなりになられたという訃報を報道で知り本当に驚きました。
55歳という、あまりにも早すぎる悲報に今でも動揺は隠せません。
死因は公表されていませんが、本当に惜しい方を亡くてしまい残念です。
ご冥福をお祈りします。
昨年12月中旬にMBSラジオ「日本一明るい経済電波新聞」に出演させて頂いた際にも、高井アナが本当に気さくにサポート進行をして下さりました。
そして、出演後にもご丁寧なメールもくださり、とても細かな心づかいのある方でした。
今週は、収録時の印象と稲盛塾長とのエピソードをご紹介をして、高井美紀さんを追悼したいと思います。
以前から、テレビ・ラジオではよく拝見をしていましたが、明るくとても気さくで、気品と知性を兼ね備えた印象通りの方でした。
ラジオ収録前に、短い時間でありましたが、一年半前に終了したMBSラジオ「子守康範 朝からてんコモリ!」の金曜日をご担当時の話をしてくださいました。
盛和塾(現・大和)の大先輩でもある子守康範さん(元アナウンサー)の話から、大企業のトップに直撃する「ザ・リーダー」で稲盛塾長の故郷・鹿児島での収録のお話がとても印象的でした。
稲盛塾長が当時85歳のご高齢で、あまり体調がすぐれなかった時であり、気を使いながらの収録だったとのことです。
しかし、カメラが回りお話が核心に近づくにつれて、ドンドン前のめりになっていかれて、収録時間を超えるくらいに白熱したとのこと。
その後、収録が終わって解散するのかと思いきや、稲盛塾長から地元・鹿児島の美味しい中華屋さんがあるので皆さんで行こうとなったそうです。
そして、カメラマンさんも含めて十数名で、秘書を通さずに塾長の自腹で太っ腹のご馳走をされたとの事。
余程、高井アナをお気に入りなられたのか?
塾長の隣に座りなさいと言って、熱い経営問答を聞かせてくださり、塾長は本当に熱くて気の優しい『利他の心』の実践を貫かれている印象だったそうです。
高井アナは長年「ザ・リーダー」という番組を担当をしていて、「経営トップに好かれる能力があるのかも?」と照れながら話されていました。(笑)
奇しくも、6年前の高井アナとの「ザ・リーダー」の番組が、稲盛塾長が出られた最後の取材映像だったとの事です。
是非とも皆さんも、ご両名・稲盛塾長と高井アナの「ザ・リーダー」を拝聴してもらいたいと思います。
そして、高井アナが「朝からてんコモリ!」で1995年・阪神淡路大震災により西宮にて被災された時のお話も印象的でした。
当時、28歳でご自宅は地震により1階部分は全壊被害を受けておられて、発生時は2階の寝室で寝ていて事なきを得たようです。
被災したご自宅から、電話をつなぎ泣きながらも懸命に状況を伝えていたとも仰っていました。
大災害や事故に遭遇した人たちが「自分が生き残ってよかったのか?」と自問自答し、罪悪感を感じることがあるそうです。
これを「サバイバーズ・ギルト」と言うそうです。
ご自身もが助かった事に悩みながらも、震災時の様子を目に涙を浮かべながら、思い出を話されていました。
もし阪神淡路大震災の被災が無ければ、局アナを辞めていたとの発言も印象に残っております。
昨年の稲盛塾長とのお別れと学びも含めて、「命の限り」を感じております。
我々、今一度生かされていることに感謝をして、”利他の心”をもった社会貢献とは?をど真剣に考えていきましょう。
そして、奇しくも私が出演させて頂いた「日本一明るい経済電波新聞」で高井アナが出演された最後になるとは・・・。
本当に「人生の皮肉」と感じております。
改めまして、謹んでご哀悼の意を表するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
■先日出演させて頂いたラジオ放送「日本一明るい経済電波新聞」で一緒に共演させて頂いた、高井美紀アナウンサーが1月25日にお亡くなりになりました。
収録時には元気なお姿を見ていたので、急な訃報に驚きを隠せません。
収録後に頂いたメールを載せておきます。
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シューワ株式会社
代表取締役
矢野秀和様
先日の収録では、お忙しい中
お越しいただきありがとうございました。
いろいろと興味深いお話をしていただき、
リスナーさんにとっても、仕事をする上での
学びやヒントになるのではと思いました。
また何かの機会でご一緒させていただくことも
あるかと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
高井美紀
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高井美紀アナウンサーのご冥福をお祈りいたします。