「民のかまど」

シューワグループの本社がある堺市で、大阪では初の世界遺産登録が実現しました。
堺市の「百舌鳥」、羽曳野市・藤井寺市の「古市」の2つからなる百舌鳥・古市古墳群は、4世紀後半から6世紀前半にかけて200基を超える古墳が築造された巨大古墳群です。
2019年7月6日、アゼルバイジャンの首都、バクーで開かれたユネスコ世界遺産委員会で世界遺産に登録されました。
永藤新市長と共に新しい堺の魅力を全世界に発信してくれることを期待しています。
永藤市長がご来社された時にも、気球や空中散策出来るプロペラ飛行機を使って「仁徳天皇陵」古墳を上空から見られる構想を仰っていました。
さすが!永藤市長の行動力とスピードに感銘を受けました。
世界の観光名所のエジプト・ピラミッドに匹敵するような巨大古墳遺跡がある堺って夢があると思います。

そんな中、「民のかまど」と言う仁徳天皇・逸話が紹介されていましたので引用紹介をしたいと思います。

■愛知・一宮市立中学校長のブログ全文 引用———————

2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。
日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。
世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。
すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。
仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。
税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。
天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。
「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。
皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」
すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。
すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。
この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。——————————

すばらしい逸話だと思いますが、このブログが教育委員会から注意を受け、強制的に削除されたそうです。
この様な日本の素晴らしさや歴史ある天皇を知ることが日本人としても重要なことだと思います。
日本の天皇は、紀元前660年・初代の神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼んでいるそうです。
国民は奴隷として搾取する対象ではなく、宝として大切にするという姿勢です。
仁徳天皇は、その姿勢で政治を行い、困窮者を救い、病者を慰問し、孤児や寡婦を扶助したと「日本書紀」にも書かれています。
このように天皇は国民を慈しみ、国民は天皇を敬愛して、天皇と国民が家族的な感情で結ばれた状態を理想としてきました。

その様に考えますと、今上天皇も常に被災地などにご訪問されて慰問をされていました。
この様な素晴らしい考え方や思想は他国にはない日本独自の伝統です。
そして皇室が古代から今日まで絶えることなく続いてきました。
ここに、日本の本来の”根っこ”があります。
民こそが大事、民が主、それは民主主義そのものです。
自分のことより人のこと、人のために生きる。
それを原点とした民主主義です。
伊勢神宮も同様に永く続くものには、必ず思想があり基礎があります。
やっぱり日本という国は改めて素晴らしい国だと思います。
こうした歴史や逸話を日本人として、もっと勉強をして知るべきだと改めて思いました。

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