
「情報過多社会」

今週も新型コロナウイルス中心の時事ニュースが駆け巡りましたが、日々の情報量が洪水のように多いことには悩まされることがあります。
日本政府が起死回生を狙いポストコロナの観光支援策と位置付けた「GoToトラベル」事業が土壇場で方針転換。
東京都の感染者が再拡大して「GoToトラベル」事業対象から東京都を除外することを余儀なくされ、今週の4連休からのスタート方針は変更しませんでしたが、混乱は避けられない状況です。
赤羽大臣は当初は旅行代金は返金しないと発言をしていましたが、あっさりと撤回し、政府の信頼性と信憑性が問われる形が浮き彫りとなりました。
そして、今週の週報でたくさんの方のコメントにもありましたが、人気俳優の三浦春馬さんが18日に自ら命を絶った理由の一つとしてSNS問題も指摘されており、再燃しそうな気配です。
現代の情報化社会では、平安時代人の一生分の情報量を1日に見聞きすると言われ、江戸時代でも一年分と言われています。
人類の脳細胞数は数百年間変わってないのにも関わらないのに現代のこの情報量です。
処理能力が変わっていないのに、インプットの量だけ天文学的に増えたということですね。
確かに、現代社会は「情報過多」です。
インターネットやSNSの普及に伴い、知りたい情報を簡単に手にいれ、興味ある話題について最新の動向を常に把握することができるようになりました。
一方で、洪水のように流れ込む大量の情報を前に、多くの人が振り回され集中力が削がれているのも事実です。
自分の処理能力を超える量の情報に直面する、いわゆる「情報過多」に置かれている状態です。
スマホはもちろん、インターネットによる情報通信技術が発達したおかげで、人は自分で考える力が衰えてしまったように感じます。
常に情報に踊らされている状態だとでも言いましょうか?
自分では自分で考えて行動しているつもりだけど、本当は自分でよく考えて行動した結果ではなく、情報に洗脳されて行動しているだけ。
バーチャルな思考行動で”頭は大人で体は子供のような感じ”というアンバランスを感じる事があります。
スマートフォンを持っている人なら誰でも身に覚えがあると思いますが、ひとたび情報を検索をし始めるとキリがなく、仕事の生産性が上がるどころか下がってしまうこともあります。
このような情報過多の状況にどう向き合うか、情報の洪水から身を守りつつ大切な情報を見逃さずに拾い出すにはどうしたらよいのでしょうか?
先日の日本経済新聞に「大量の情報から思考が研ぎ澄まされる人と、安易に情報に乗る人に分かれる」というコメントがありました。
たしかに最近は、何かを調べる時にネットを利用して情報を集めただけで理解した気になっていると感じる方に時々会います。
とはいえ自分はどうなのか?と自問自答すると、自分にもネットに触れる時間が増えるにつれて、段々とその傾向が強くなっている気がします。
大量の情報から思考が研ぎ澄まされる人になる為には、誰かに言われたからやる!という依存的な発想ではなく、自分自身の頭で「考える」こと重要です。
したがって、自分自身が自分の頭で考えられるようにしたいと思っています。
そして、自分でしかない解決方法を見つけると自身の「強み」を強化することに繋がります。
その結果として、自身の存在意義は高まるわけです。
それは、個人も企業も発想は同じだと思います。
もともと、外的要因的に精神を左右されないよう意識はしておりましたが、無意識に色んな情報をインプットしてストレスに感じていたということですね。
多過ぎる情報も、害になり得ます。
取捨選択をして、足るを知る。
したがって、社員の皆さんもより自分の頭で考えられるように、まず時代の流れや、判断するための前提条件や材料を、週報を通じて共に考えて行きたいと思います。