
三毒 (さんどく)

今月も店長会議で稲盛塾長の著書「働き方」を皆さんと共に輪読をして学んでいきたいと思います。
毎月ごと、成功者である稲盛塾長の言葉を勉強しながら、皆さんとど真剣に向き合いながら実践する事はとても重要だと感じています。
とても、シンプルかつ直球の稲盛塾長の”魂の言葉”は今回も胸に熱く刺さりました。
【今月のキーワード】は 「三毒」・・・・。皆さん真剣に学んで行きましょう!
————–「愚直に、真面目に、地道に、誠実に」働け。
人間の煩悩は、百八つもあると言われています。
中でも「欲望」「怒り」「愚痴」の三つは、卑しい心、つまり人間を苦しめる煩悩の最たるもので、心にからみついて離れず、
取り払おうとしてもなかなか拭い去ることはできません。
お釈迦様は、この三つを「三毒(さんどく)」と呼ばれ、人間を誤った行動に導く諸悪の根源だとされています。
「人より多くの金銭を手にしたい」「人よりも高く評価されたい」――このような「欲望」は誰の心にも潜んでいて、
それがかなわないとなると、人は「怒り」を覚え、「なぜ思った通りにならないのか」と「愚痴」や「不平不満」をこぼすようになる。
人間とは、つねにこの三毒に振り回されて生きている、因果な生き物なのです。
生きていくうえで、この三毒をまったくゼロにすることは不可能なことです。
なぜなら、三毒は、肉体を持った人間が生きていくためにはどうしても必要な心だからです。
人間が生物として生きていくうえで必要だからと、自然が本能として与えてくれたものなのです。
たとえば、自分という存在を守り、維持していくためには、食欲をはじめとする「欲望」や自分を攻撃する者への「怒り」、さらには自分が思うような状態ではないことに対する、
「不満」などを払拭することはできません。だからこそ、三毒を完全に除去できないまでも、まずはその毒素を薄めるように努めていかなければならないのです。
そのために唯一無二の方法と言っていいのが、一生懸命に「働くこと」なのです。——————–
今回、稲盛塾長「働き方」から「三毒」という言葉を勉強し知る事ができました。
皆さんは、この「三毒」という言葉をお聞きになったことがありますか?
人間の百ハつもある煩悩のうち、「欲望」「怒り」「愚痴」をお釈迦様は「三毒」と呼び、人間の誤った行動に導く諸悪の根源とされているそうです。
そして稲盛塾長は、この 「三毒」 を抑えることが、”心を磨き高めること”に繋がると説いておられます。
本来、人間自身は弱いもので「利己的な心」を持っている状況を少しでも抑えることにより、「利他の心」・・・「優しい思いやりに満ちた心」 が心の中の大半を占めるようになっていくものと説いておられます。
誰もが幸せな人生を送りたいです。
そのように考えると、「三毒」・・・「欲望」・「怒り」・「愚痴」まずは、この3つを抑えることを意識していく事が重要です。
そして、お釈迦様は「三毒」についてこの様に説いておられます。
「欲望」・・・貪欲(とんよく)=自己の好む対象に向かってむさぼり求める心をおこすこと。
「怒り」・・・『瞋恚(しんに)=憎しみ怒り、心が安らかでないこと。いかり、腹立ち。
「愚痴」・・・「愚痴」(ぐち)=真実の道理に無知な事。まことのすじみちが分からないこと。
我々凡人は、日常から、三毒が抑えられず、欲望、怒り、羨望・愚痴等の感情をぶつけることが多々あります。
僕自身も盛和塾で勉強する前は、常に「三毒」にまみれていたと言っても過言ではありません。
特に、稲盛塾長の教えが判らなかった時は、自身の判断基準が「利己的な心」であり、日々の仕事の中での勝った負けたが多かったように思います。
自己達成意欲や欲望が強く、それが達成されないと怒り、他人と比べて劣っていると劣等感に悩まされ、ちょっとでも勝っていると優越感に浸る。
そんな時間が多かったように思います。
個人的な欲望はなくすことはできないけれど、会社のためとか社員さんのためのような自分以外に対する欲望の割合を増やしていく事が重要だと。
怒ることは無意味に等しい。これからは、怒る⇒叱るに変えるようにします。
怒ることは他人に対して悪影響を与えやる気もそぐ可能性が大きいと思います。
出来る方法を考えて、失敗をしても素早くチェンジする思考でやればいいワケです。
だんだんとこのような考え方になってきて、「三毒」に侵されている時間は短くなってきました。
「三毒」は誰もが持っているものですが人間の本能であるから消せませんが薄めることはできます。
稲盛塾長の仰る一生懸命に「働くこと」なのだそうです。
よく精進せよ、という言葉を聞きますが、これは釈迦様が定めた悟りをひらく修行の一つで、懸命に「働くこと」なのだそうです。
これからの人生から「欲望」「怒り」「愚痴」を少なくすることこそ、最もリーダーに必要なんだという事を感じました。
欲張り過ぎず、感情のまま攻めず、他人の中傷や自己弁護に明け暮れず、まわりの人達から、慕われる人財となる事。
ひたむきな努力を続けて、仕事に打ち込み、精進しながら魂を込めてたゆまず一歩づつ歩みを重ねていく。
それが、そのまま人格練磨のための「修行」となって私たちの心を磨き人間を成長させる。
今の自分自身の心の中の「欲望」「怒り」「愚痴」を少しでも取り除けたら、どんなに楽しく生きて行ける事かと。
利他の心をもって「我慢する心」と「許す心」と「素直な心」を持つことを心に誓いました。