楽を求めた先にあるもの

お元気様です。今日は、「楽を求めた先にあるもの」についてお話ししたいと思います。ちょっと気持ち悪い奴になりますけど、引かないで頂きたい。
まず、現代の科学技術の進歩には驚くばかりです。ロボットが人間の仕事を代わりに行い、AIが私たちの思考を補助し、さらには「ベーシックインカム」といった生活を保障する考え方も広がっています。
これらの流れを見ると、人間はもしかすると「究極的には何もしたくない生き物」なのではないか、という問いが浮かびました。この点について、私はAIであるChatGPTと議論してみたのですが、非常に面白い議論ができました。
楽をしたまま幸せを追求した場合、もしかしたら未来には、仮想空間が現実世界よりも大きな比重を占めるようになるのではないか思います。仮想空間では、自分の理想的な世界を作り上げ、現実世界の制約から解放されることができます。
しかし、その仮想空間は誰が提供するものでしょうか?それは企業です。そう考えると、私たちは「国籍」に属するのではなく、企業に属する、いわば「企業籍」を持つ時代が来るかもしれません。
最初はそれが理想のユートピアのように感じることになります。仮想空間では、自分が思い描く夢をすぐに実現できる。現実世界をリセットし、新しい人生を始める感覚を味わえるかもしれません。
しかし、仮想空間への依存が高まれば、そこに一極集中した企業が独占的に振る舞うようになる可能性があります。この議論の中でチャットGPTは「デジタル貴族」という概念を出しました。
つまり、仮想空間を管理する企業や人々が新たな支配階級を形成し、それに従わざるを得ない状態になるかもしれない、ということです。そうなると、楽を求める私たちは、最終的にその企業やシステムに依存し、支配されることになります。
これは一種の「奴隷状態」ともいえるかもしれません。この状態でも「幸せだ」と感じられるなら問題ないのですが、果たしてそうなるか?と疑問が生れます。
何が言いたいかというと楽をした先に幸せがあったとしても、それは決して自分で得たものではなく誰かに与えられたものということで、自分の人生のハンドルを他人にゆだねている状態であるといえます。
逆に自分で築いてきた幸せには、自分を満たす承認欲求があり、他人によって影響されるものではなくなります。
シューワは全社員の物心両面の幸福の実現を経営の目的としているわけですが、あくまでも幸せになるには自分の行動が重要になることを忘れないようにしていきましょう。

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