
生き方

おはようございます。本日は生き方について少し感銘を受けたお話をしたいと思います。
「凡そ(およそ)人 一日この世にあれば、一日の食を喰らい、一日の衣を着、一日の家に居る。なんぞ一日の学問、一日の事業を励まざらんや」
これは、松下村塾を開き、子弟を教育するも安政の大獄で刑死した幕末憂国の志士、吉田松陰の言葉です。
意味は「人間は一日生きておれば一日の食物を食らい、一日の衣を着一日の家に住む。それであるから一日の学問、一日の事業を励んで天地万物(てんちばんぶつ)へのご恩を報じなければならない」です。
「すべて人は、1日この世にいれば、その1日の食事をとり、その1日衣服をまとい、その1日家に住まう。どうして1日の学問、1日の修行は励まないでいいという道理があろうか。
皆さんも歴史の教科書で学んだと思いますが、吉田松陰は、嘉永7年3月27日門人の金子重輔(じゅうすけ)と黒船で密航を試みますが失敗し獄中の人に・・
その牢の中で松陰は、牢番に・・「一つお願いがある。それは他でもないが、実は昨日、行李(こうり)箱の入れ物 が流されてしまった。それで手元に読み物がない。恐れ入るが、何かお手元の書物を貸してもらえないだろうか」
牢番は、それを聞いてびっくりし・・「あなた方は大それた密航を企み、こうして捕まっているのだ。何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか。どっちみち重いおしおきになるのだから」と言うと・・
すると、松陰は・・「ごもっともです。それは覚悟しているけれども、自分がおしおきになるまでは、まだ時間が多少あるであろう。それまでは、やはり一日の仕事をしなければならない。
この儀が納得できたら、是非本を貸してもらいたい」この言葉に感心した牢番は松陰に本を貸します。そのゆったりとした姿は、やがて処刑に赴くようには見えなかった。
牢に入って刑に処せられる前になっても、自己修養、勉強を止めなかった松蔭、無駄といえば無駄なことですが、これは非常に重要なことなのです。
人間はいずれ死ぬものです。いくら成長しても、最後には死んでしまうことに変わりはありませんが「どうせ死ぬのだ」という分り切った結論を前にして「どう考えるのか」「どんな死に方をするのか」
松陰は、どうせ死ぬにしても、最後の一瞬まで最善を尽くそうとしたそうです。皆さんは、吉田松陰の生き方をどう感じましたか。
4月から新入社員の方々も入社し、これからの人生様々な経験をしていくと思います。100年永続企業を目指す、シューワグループでは現在が時の政府であり、また次の政府が必ず誕生いたします。
まだまだ企業継続のためには、日々の勉強が必要だとこの機会に改めて感じました。幾つになっても 人生が終わるまで天地万物の御恩を報じるためにも勉強・成長し続けなければいけないと思いました。
もう今更とか、もうこの歳やしとかそのような考えは捨てて、日々勉強の気持ちを持ってこれからの人生を過ごしていくと今以上に素晴らしい人生が送れるのではないでしょうか?自分の人生に爪痕を残せれるように!一度考えてみてください。
また、皆でシューワグループが強い会社になれるように、日々学び 勉強して、誰にも負けない努力をしていきましょう。