
人生を考える機会を持つ

今月もシューワ・BCP共に会議がありましたが、その中で「京セラフィロソフィ」輪読の機会がありました。
人生にとってとても重要な「人生を考える機会を持つ」というテーマがありましたので、物心両面の幸福実現の為に学びたいと思います。
【キーワード】は 『人生に対する目標』・・・・。皆さんど真剣に学んびましょう!
《出典 心を高める、経営を伸ばす P.24参照》
—–アメリカの子どもたちは、高校までは自由闊達(かったつ)に人間性を養うような教育を受けてきているのではないでしょうか。
その期間は、彼らにとって、「何かをしたい」という意欲、いわば人生の目標を醸成するときではないかと思います。
そして彼らは大学に入り、目標達成に必要な基礎学間を猛烈に勉強し始めるのです。
実際に、アメリカの学生は目的意識をしっかり持つており、目標とはっきり関連づけた学間をやっています。
その点日本の学校では、子どもに対して自分の人生目標をどのように設定するかということを説くことはありません。
先生方の中にも、受験などの擬似目標だけで生きてきて、何となく先生になったというような人もいるようですから、無理もありません。
「自分はどういう人間なのか」「人生をどう生きたらいいのだろうか」ということを考える機会が、人生の入り口ではどうしても必要です。
この経験が、人生の目標を導くのです。
人生に対する目標を持った人と、持たない人とでは、人生の後半では相当な差がついてしまうはずです。—–
「人生を考える機会を持つ」について、アメリカと日本の違いが良く理解ができました。
アメリカの学生は、しっかりと目的と目標に関連づけた基礎を学ぶ。
一方、日本の学生は、偏差値文化があり良い学校や会社を選ぶ傾向が昨今の状態だと思います。
特に目的と目標を持たずに、親や先生の言われるがままの状態なので、会社に入ってから燃え尽き症候群になっているケースが多い。
昨今のゆとり教育や働き方改革にも繋がりますが、
”働く”は、傍(周りの人)を楽にするというのが語源で有り、自分自身が社会に出て、社会で何にお役に立てれるのかを真剣に考える必要があると思います。
この考え方がアメリカと日本とでは大きく違い、失われた30年になったように感じます。
今回のフィロソフィにあるように”人生に対する目標”が必要不可欠だと思います。
これからのは、医学の進歩もあって人生100年時代と言われていますが、私の”考え方”の根底にあるのが、”生きているよりも生かされて”いる事です。
”使命”という漢字が有りますが、命を使うと書いて”使命”ですが、やはり、命の時間を使っているのだと考えるべきだと思います。
特に今回の能登半島地震もあり、どこで何があるかわかりません。
私も当年54歳ですが、戦国時代なら寿命が尽きてる年代となりました。
そして、人生100年時代としても折り返し地点です。
そのように考えると以前にも示しましたが、今回は人生100年時代で考えてみました。
・0歳から20歳まで・・・人生を耕す時間
・40歳まで・・・人生の種を撒く時期
・60歳まで・・・人生の収穫時期
・80歳からは・・・次世代へのバトンタッチ
・100歳までは・・・人生の整理の時期
以前からのエクイティーストーリーでも示している通り!寿命とは別に、私の社長としての人生は段々と終わりの時期が近づいております。
これから、次世代へのバトンタッチが出来るように全力で、60歳までの収穫時期を全うしなければなりません。
その様に考えると、18歳で創業して、35歳での社長交代から60歳まで。
そして今度は社長から次世代へのバトンタッチに変えていかなくては成りません。
ここまで、大きな病気をすることなく私なりの事業の積み上げをしてきましたが、今までの失敗の数は、本が10冊くらいかけるほど重ねてきました。
そして、僅かな成功も味わってきました。
私の人生を例えれば「人生は山あり谷ありと言われますが、「谷あり山あり谷あり谷あり、少し山あり」と、失敗の連続から這い上がってきた人生かもしれません。
その苦しい中でも、必ず家族や仲間が助けてくれたことは、本当い有難いことであり、とても幸せだったと思います。
このようにお金では買えない経験値を手にすることが何よりも財産です。
そんな私が一番大事だと思っていることは??
それは!!
全てのことには、必ず終わりがある!ということです。
終わりがあるから、懸命に生きる!一瞬一瞬を大事にする!
この時間は誰でも平等にあり、有難うの反対は?当たり前と言われていますが、時間が有限であることを考える必要があります。
人生の半分の54歳にもなると残りを人生を引き算で考えるようになります。
これは、誰から教えられたわけでもなく実感的に自然とそうなります。
年を重ねると、1年間を短く感じます。
稲盛塾長の仰る「人生に対する目標を持った人と、持たない人とでは、人生の後半では相当な差がついてしまう」をもう一度、我々の人生でも当てはめて考える必要があります。
しっかりと時間を有限に使えるように考えた行動をしましょう!