「過ちて改めざる是を過ちと謂う」

先週は、本来の業務以外でも様々な問題や課題が山積していました。
皆さんにもご心配をお掛けしました。

前回に引き続き「きれいな心で描く」「心の庭」塾長が仰る利他的”考え方”の重要性について学びたいと思います。
「人生には3つの坂」がある以前から何度もお伝えをしてきました。
上り坂。下り坂。そして!まさか。です。
我々凡人は、本当の坂なら、上り坂より下り坂のほうが楽だと考えます!
この考え方も、間違いでは無いと思います。
つまり、人生で起こる出来事の是非を決めるのは、他人では無く自分自身の心の有りようということです。
本来は人生に坂などは無いそうです。
例え物事がうまくいかない状況だとしても、成功したあとには、あの下り坂がなかったら、今の人生は無かったな!とプラス思考で捉えることができます。
つまり、下がったからこそ、上がる方法を真剣に考えることができた訳です。
それなら、どちらも意味のある坂だったといえます。
生きている人間が、手前勝手に難易度を決め、いろんな坂を作り出している。
そのように考えると、どんな道にも”原理原則”に基づいていくと細い1本の道が有るはずです。
逃げずに進むことができれば、『まさか』がやってきたときも柔軟に対応することができます。
もちろん、次のステージにステップアップする為には、上がり方を覚えておく必要もあります。
その様に考えますと人生の中で、勝ち続けることは無いので、自分自身や他人がミスや失敗をした際になぜ失敗をしたのかを分析する必要があります。
そして、他人がミスしてしまったら、それを実直に自分事として反省して、今後に生かして”人の振り見て我が振り直せ”としましょう!
その反面で、ここぞとばかりに原因他人論的で他人のミスや過ちをワイドショー的に面白がり非難をすると『まさか』への学びとはなりません。
ミスや過ちを自分自身の反省すら生かさず安易に捉えてしてしまう。
それこそがミスです。

「論語」孔子の古い教えに感銘を受けましたので紹介したいと思います。
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」(あやまちて あらためざる これをあやまちという)
※過ちを犯したことに気づきながらも改めようとしない、これこそ本当の過ちという。
これは論語の一節ですが、孔子も私達と同じように不完全な存在である人間ですから間違いを犯します。
しかし、孔子は過ちを犯した後の対処方法が重要だと説いています。
大人(立派な人)は自分の過ちを素直に認めて、改める努力をしますが、小人(普通の人)は自分の過ちを認めません。
大人は過ちや失敗を成長の糧として更に人間的に成長しますが、小人は自分を正当化して自分の器をどんどん小さくします。
素直に悔い改める姿勢こそが重要と説いてくれています。
人間は弱い生き物で過ちを犯す生き物です。
何度も、過ちを犯し、反省し、改める。
そのスパイラルが人間の成長の源であり、人間らしさでもあると思います。
大事なのは、過ちに気付いた時に、原因他人論的に成らない心です。
そうしないと人間としての向上も期待できないし、周りの信頼も失ってしまう。
やはり、そこで求められるのが”考え方”であり素直さと謙虚さが重要だと思います。
シューワグループの皆さんにも、自分大好きな方が多くいますが、自分に自信のある人ほど謙虚な心がけをお願いしたいです。
ただし、過ちは改めるべきだが、いつまでもそれにとらわれていたのでは、前へ進むことができない。
反省し、改めたら、勇気を出して、また次の課題へ一歩挑戦していきましょう!
いよいよ、新年度が始まりました。
心機一転プラス思考で「全従業員の物心両面の幸福の実現」に向かって元気よく頑張りましょう!

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