『うわー、夜は真っ暗ですね・・・。建物があるのに夜に通ると不気味ですね。せめて信号だけでも点いていたら・・・。』

岐阜店の塚岡さんが、ローリーを運転しながらこう呟いた。大船渡市の宿泊施設から私が一時帰阪する為に釜石市内へ入った時だった。そこは紛れもなく廃墟の街だった。民家は瓦礫と化し、ビルは鉄骨をむき出しにして暗闇に立っていた。

―――――――――――間違いなくここには街があったのだ・・・。

ありがとうの灯火(ともしび)

昼間は、釜石の岩手オイルターミナルから宮古市や田野畑村へ燃料を供給する為に通る道なのだが、自衛隊や消防、警察、消防団が大勢瓦礫撤去と行方不明者の捜索活動を展開している。瓦礫と化した焼け野原を考え深く見入っている暇はない。人ごみと車両と埃と土煙の中をシューワのタンクローリーが帆走する。

しかし夜は誰もいない真っ暗な廃墟の街は、車両のヘッドライトだけが時折交錯するだけである。

何キロも、何10キロも延々と続くのである・・・。

こんな光景を、戦争を知らない私が目にすることは先ず無いと思っていた。
会長とこの無残な廃墟の街に到着してはや10日が過ぎていた。
会長が

『中井君、これ飛行機、降りれるかね?』

その日の岩手花巻空港は、積雪のため条件付で伊丹から出発していた。
しばらく上空待機の後、飛行機は着陸した。
空港には岩手県災害対策本部の幹部の方と運転手が出迎えに来ていた。
オブザーバーの方と会長と私は、花巻から盛岡の県庁(県災害対策本部)へと向った。
町並みは雪景色で被災した様子はまったく無い。大阪と違った光景と言えば、営業中のガソリンスタンドに長い行列ができ、

【ガソリン在庫なし休業中。当面入荷予定無し】

と書かれた休業中のガソリンスタンドが点在した。

『内陸部は震災は無いのですが、ガソリンはご覧の通りです。私らのような緊急車両だけが優先されます。営業すると言う情報が流れると前日から車が並び、先日は凍死や一酸化炭素中毒の死者も出る有様です・・・。』

盛岡の岩手県庁(災害対策本部)は自衛隊の前線基地の様相で装甲車や物資配送用大型車両等で埋めつくされていた。
県庁No.3の方(副知事のすぐ下、)災害対策本部 燃料班幹部の方の出迎えを受け、現状や今後の支援活動について打ち合わせを行ったところで幹部の方より

『それでは現地に行きましょうか?被災地をご覧になられてシューワさんのご支援のご意見を頂ければと願います。』

それは被災地の切実なる想いであることが、後の現実を見て痛感した。

内陸部(盛岡市から遠野市を抜けて釜石の手前まで)は本当に雪深い山間部でのどかな風景が続く。
釜石市内に入った瞬間、それはひょう変した。

オイルターミナルは、屋外タンクの延焼を免れたが電力は回復しておらず、普段絶対にあり得ない給油方法(キャノピーを介せず、屋外タンクの重力による直接積み)を用いて手作業でタンクローリーに積み込み、被災地に燃料を供給してほしいと依頼を受けた。

『ここは船が突っ込んでこなかったから気仙沼のように炎上はしなかったのですが、給油施設はご覧の通り、壊滅状態です。』

辺りは、石油の匂いと生臭い異臭が立ちこめ、カラスの鳴き声だけが響き渡る。
市内(釜石から大槌町)へ向う車内で絶望的な光景を目の当たりにする・・・。
瓦礫と鉄くずの両脇を車が通る。車と船舶と住宅が塊になって巨大な鉄くずと化している・・・。

『本当に立ち直れるのか・・・。』

8人のシューワ勇者と10日間、その後休まず救援、支援活動に従事した。
少しでもお役に立ちたかった。
皆そう思っていた。被災地から毎日『ありがとう』が私達にシューワに贈られる。

『ありがとう』で真っ暗な廃墟に、暗い心に灯火を・・・。
私の天命として続けたいと切にそう思う。

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筆者:中井正隆
シューワグループ
執行役員部長