昨夜、岩手より戻って来ました。さすがにもう岩手は冬の手前と言った寒さでした。今年は車もコースも倍に増えたので、正念場です。去年の顔ぶれと新しい人で店は少々手狭になった感じがしました。頑張ってくれると期待しております。

いわて学び基金の取材を受けて

本社から岩手店まで約1000キロあります。軽自動車で凡そ20時間くらいかかるでしょうか?今回は、社長が夕礼、朝礼に来られたのと、岩手県庁に学び基金の寄付の取材の為盛岡に出向いて来ました。盛岡の記者クラブには当時の災害対策本部の燃料班班長と新聞社3社、テレビ局がすでに私たちを待っていてくれました。シューワのこと、災害活動のこと、灯油販売で学び基金の募金を募ったこと、今回で累計4000万円にも上る寄附に達したことなどの取材を会見方式で行われました。

その日の夕方のニュースで放映されました。その時の模様をDVDに焼いて来ておりますので、後程また皆さんにもお見せしたいと思います。またプレスリリースに配信の手配も進めて頂いております。今回も被災地に出向いて来ましたが、表立って大きく変わったところはありませんでした。津波を被った町に商店が増えてはいましたが、仮設住宅等はそのままで生活そのものの復興もまだまだ先のような気がしました。

何故学び基金に寄付することになったのか?一つのきっかけがありました。当時、災害対策本部からの要請がない日曜日は、こぞってボランティアに参加して壊滅した街に出向いております。日報班の方々はコース名になっておりますのでご存知かと思いますが、北は宮古市から山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市とほとんど街が残ってないところへ分担して出向いておりました。

ボラセンもそのうち顔馴染みになりますので、『いつもありがとうございます。今日はシューワさん何名来て頂いてますか?』と手慣れた様子で配置を決めて頂きます。僕たちはいつも肉体労働を希望してツルハシやスコップを持って泥かき作業と瓦礫撤去作業を行っておりました。その頃の街中は大量の粉じんと臭いがすごかったのを覚えております。

大槌町と山田町の間にある吉里吉里と言うほとんど壊滅した街に出向いた時のこと、あるお宅の床下の泥出しをしておりました。1階は津波で流されていましたが、2階は無傷で明らかに新しい家だったというのが見て取れました。子供のおもちゃとか可愛らしい食器などが泥だらけで当時の面影が想像出来ました。

そのうちおばあさんがやって来て、お茶菓子を進めてくれました。当時救援物資もままならない中、私たちをもてなして頂くのはあまりにも忍びなく断っていました。その時そのおばあさんのお話が『この家の両親は共々波に持って行かれて、私と孫たちだけが残ったのよ・・・。』その話を聞いてから6月に基金が設立されることを会長、社長にお話しして今回の大きな活動に繋がったということです。

有事の際のリスクを最小限に災害時の燃料確保について【BCP対策】燃料の緊急時供給契約専属貯蔵サービス・専属配送サービス

筆者:中井正隆
シューワグループ
執行役員部長