またまた幼少の頃の話になりますが、私は小学校2年生(8歳)からのアルバイトをしておりました。私の幼少の頃は、新聞少年なる勤労少年が多くいまして、歌にも『僕のあだ名は知ってるかい?新聞太郎と言うんだよ』と言うような歌が流行った世界でした。高度成長期にも乗っ取って更なる進化、飛躍を遂げた時代でした。

幼少期に築いた商売の原点

私の家は貧乏子だくさんの典型でした、少しでも母親の手助けをしたくて小学校卒業まで配達のアルバイトを続けていました。勿論全額家に入れていましたので、本当の自分の小遣いを稼ぐのに土曜の夜の新聞折り込みの作業でした。200~500円の日当がありましたので、普段の生活はこれでしのいでいたと記憶しております。

新聞少年時代に培ったスキル

シューワに入り、八尾店で巡回で販売をしていた頃、どうすれば効率よく販売が出来るのか?この新聞少年時代に培ったスキルが随分役に立ったと思います。私は中学に上がるまで身長が138センチしかありませんでしたので、当時の配達用の自転車(豆腐屋自転車と言いましてフレームが三角形)背の低い私は、三角の間に足を突っ込んで自転車を漕ぐ、アクロバットのようなスタイルで200件ほど配達をこなしていました。

しかしちまたのご婦人から結構人気がありました。その時に考えたのが八尾店にいた時に役に立ちましたが、どうすれば自転車を使わずに効率よく新聞を配れるか?と言うことでした。拠点、拠点に自転車を放置し、ひたすら走る、走る。他人の家の裏庭や軒下をすり抜けて近道を探す。自分なりのルートを確保する。こういった配達ルートの確保が後の灯油巡回販売の2度回りや住宅有無の確認に役立つレスポンスの高い販売の原型であったと思います。

人そのものの要求

今でこそ新聞はあまり読まれなくなって、メディアも更なる進化を遂げていますね。時代、時代のニーズは変わりますが、人そのものの要求は、そんなに変わりませんね。良い物をより安く、良い情報をよりタイムリーに、誰よりも早く供給を受ける、常に客先の要望にお応えできるよう日々、進化し、対応する。私の目指すところはそんなところにあると考えております。

最後に

中国に陽明学を説いた儒教の学者をご存じでしょうか?知行合一を唱えた学者で、その知識と行いとは必ず等しい所にあって初めて業を成す。と言うところに真価を説いた学者です。若くして学べば即ち・・・。死ぬまで勉強、そんなところでしょうか・・・。

有事の際のリスクを最小限に災害時の燃料確保について【BCP対策】燃料の緊急時供給契約専属貯蔵サービス・専属配送サービス

筆者:中井正隆
シューワグループ
執行役員部長