4月中旬に弊社会長と知人の社長と3名で、岩手県の被災地を二日間に掛けて災害状況視察に寄せてもらいました。
今回の目的は、大きく分けて3つ。燃料補給ローリー応援、有価物・ガレキ処分について、もう一点は実際に広がる災害状況をこの目で見る事。
シューワ企業理念である「ありがとうの言葉を世界一集める企業」として自分達が何を出来るのかを考えたかった。

早速、朝早くに大阪空港から岩手花巻空港への飛行であったが、大阪空港のアナウンスでは、ひょっとすると、強風の影響で花巻空港では降りられなくて、秋田空港に着陸するかもれないとの事。
仕方が無いので、その指示通り乗車はしたが、少し到着の遅れはあったものの無事、岩手花巻空港に到着した。
花巻空港に降りたった印象は、4月中旬なのに寒い(AM11時頃で5度)と感じた事と会長も言っていた事だが、内陸部にある花巻空港は地震の影響が、まったくといっていいぐらいに無いことに驚いた。

その後、レンタカーを借りて、今回の視察地である釜石市→大槌町→大船渡町→陸前高田市→気仙沼市など、大震災の爪痕が痛々しい地域を訪ねて向かった。
約1時間半ぐらいで釜石市に到着したが、車から見る窓越しに見える景色は、ガレキの世界が一面に広がっていた。
連日放映されているテレビの報道では、被災各地を地図上の「点」としてしか理解できなかったが、僕たちが確認した地域だけでも、約50kmの「線」で沿岸部が壊滅的にやられていた。
道路から、海が見える場所や海岸に近い土地はことごとく破壊され尽くされていた。
地震で「津波に流された」という表現は正しくなかった。
地震よりももっと怖い!「津波にぶっ壊された」と表現する方がわかりやすいのかも知れないと感じた。
僕自身は戦争を知らないけど、まさに敗戦で焼け野原を化した街で戦後もこのような残骸だっただろう。
その日は、風がきつかったのもあったかも知れないが、強烈な土砂埃と粉塵が舞い上がり、少しだか異臭も感じた。
被害の状況は地域によって異なることも分かった。
釜石市は港全体が呑みこまれていた状態。
大槌町は街全体が津波よりも火事被害が大きく燃えていた。
大船渡町・陸前高田市は海から川へ逆流し約5KMぐらいは、一面広大ながれき平野のような状態であった。
気仙沼市も被害状況は一番ひどかった、あたり一面、巨大なタンカーや石油タンクもひっくり返されていて、改めて自然の驚異を感じた。
自分の想像を遥かに超えた被害状況を目の当たりにして、正直絶句し言葉にならなかった。

その日の夜、戦略旅館である宿舎で、中井次長率いる岩手復興支援チーム8名と対面ができた。
この過酷な状況下で、日々悪戦苦闘の中、戦ってくれているメンバー達で、まさにシューワ戦士達である。
正直、疲れきっているのか心配でしたが、皆の顔を見て安心をした。
皆、笑顔でいつもより誇らしげな顔をしてくれていた。

やはり、被災地訪問でほとんどの方自身が被災をされているにも関わらず、灯油・軽油を運んでいくと待っていたよ『ありがとう』との声が大きいとの事。
その話を皆さんから聞き、頼もしさ!も嬉しさ!が誇らしさ!がこみ上げてきました。
ありがとうの言葉の多さ・戦士達の自信は、やはりこれからの需要の大きさが感じ取れますした。
次の日、副知事さん・岩手県庁の幹部の方達とも面談を戴き、さらに今回の応援について大変恐縮でありますが、最大限のお褒めの言葉を戴いた。
これから数年掛かって、がれき撤去も本格化するので、是非シューワの応援を宜しくお願いしますとの有難いお言葉を頂戴した。

今回の視察で感じた事。

連日テレビでは、「日本かんばろう!」「日本はだいじょうぶ!」といった激励が繰り返し、繰り返し放送されている。
地震発生から約一ヶ月以上が経ち、数え切れない人々の悲しみがあった。
中には、家族を失った方、家や家財をすべて失った方、将来への大きな不安な方、やり場のない怒りに耐えて避難所暮らしを強いられている方などが、
遠吠えのような言葉「かんばろう!」が正直届くだろうか?
本心の言葉として、受け入れられるだろうか大きな疑問が残る。
すべてを失った人たちの境遇を、簡単に自分のこととして受けとめられるだろうか?
僕が反対の立場だったら恐らく「どう頑張れというんだ!」と思うだろう。
小手先の上から目線では無く、「共に復興に向けてかんばろう!」が適切なのかも知れないと感じた。

僕たちの日々の生活は「当たり前」では無いと云う事を再確認して、日々の普通がいかに「有難い事」であるかことか!を強く感じた。
現地に行って帰って来た今、僕たち自身がこれからどのいう風に生きるべきか、見つめ直さねばとの思いが強くなっている。
小さな事かも知れないけれど、節電からでも、「西日本側から」が少しでも出来る事から日々努力をしよう!
それも、復興の一歩に繋がっていくと考えます。

今回の東日本大震災で何かが変わった。

あと何年後かには、東日本大震災のこの時期の事を語り継がれる事でしょう。
いまだ、良くわからないけれど、汽車のレールのスイッチでは無いが、日本が変わったと考えなければならない。
そう考えると、ピンチにも対応できる変化対応力が重要になってくる。
今まで以上に真剣に僕たち自身も変わって行かなければといけないと痛烈に強く感じました。

※今週は岩手県 達増拓也知事 の言葉にたいへん感銘うけた。

~ 「がんばろう!岩手」宣言 ~

3月11日の東日本大震災津波から1ヵ月が経ちました。
岩手では、大勢の方が犠牲となり、行方不明となっている方も数多くいます。
また、多くの方が家を失うなどして、避難生活を強いられています。
岩手は、これまで、明治、昭和の三陸大津波や、カスリン、アイオン台風、チリ地震津波、岩手・宮城内陸地震など、何度も大きな自然災害に見舞われてきました。
しかし、先人は、決してくじけず、これらの苦難を乗り越えてきました。
今回の大災害も、岩手の豊かな自然のもと育まれてきた自立と共生の心があれば、必ずや克服することができます。
津波は山元町の海岸沿いの堤防を破壊し、松林をなぎ倒し、数百年続く旧家を押し潰した。
宮沢賢治は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉を残しました。
私たち岩手県民は、皆で痛みを分かち合い、心を一つにして、被災された方々が「衣」「食」「住」や「学ぶ機会」「働く機会」を確保し、
再び幸せな生活を送ることができるようにしていきます。

また、犠牲となられた方々のふるさとへの思いをしっかり受け止め、引き継いでいきます。
どんなに長く厳しい冬が続いても、暖かい春は必ず訪れます。
全国、そして世界中からいただいたお見舞いや励ましを糧に、県民みんなで力を合わせ、希望に向かって一歩ずつ復興に取り組んでいくことを誓い、「がんばろう!岩手」をここに宣言します。

有事の際のリスクを最小限に災害時の燃料確保について【BCP対策】燃料の緊急時供給契約専属貯蔵サービス・専属配送サービス

筆者:矢野秀和
シューワグループ
代表取締役